バファリンの残り半分
昔ヒヨコ氏と議論をしたのを、唐突に思い出したので、なんかの記念(謎)に書き留めてみる。
「バファリンの半分はやさしさで出来てい」るらしいが、じゃあ残り半分は何で出来ているのか。
※以下の議論では、バファリンからやさしさを取り去ったものを仮に「ァリン」と呼称する。たった今適当につけただけなので、「バフ」=「やさしさ」である、などと主張するつもりはさらさらない。
さて、「ァリン」の正体は何か。製品の原材料欄を見れば載っているのか。そうではない。
なぜなら、バファリンの原材料表示欄に「やさしさ」が記載されていないからである。つまり、「やさしさ」は記載された原材料のいずれか(ひとつか複数かはわからない)に紛れ込んでいる、ということがわかる。
(ここでの議論は「バファリンには『やさしさ』が入っている」というのが前提なので、やさしさはバファリンのどこかに入っていなければならないのである。)
ということで、議論は次の点に移行する。
バファリンの成分のうち、やさしさを含有する物質(複数の場合はそれらをまとめて)をここでは「ァリン」と呼んでいるわけだが、この「ァリン」だけでバファリンとして必要十分なのかどうか、である。
ここで、「ァリン」だけで必要十分である、と主張する意見と、そうではないとする意見があり、儂は後者を採った。
確か、そこでヒヨコ氏前者を採った、つまり「残り半分はバファリンでできている」と発言したのが不毛な議論の始まりだったと記憶している(つまり、儂がそれに面白半分で突っ込んだわけだ)。
バファリンの残り半分がバファリンだとしたら、その半分も当然やさしさで出来ていて、残りの半分(最初の時点から見ると1/4だ)はバファリンから出来ている、当然、さらにその半分はやさしさで残り半分(当初の1/8)はバファリンで・・・
この仮定は、以下の数式に変換できる。
(真のバファリンの残り半分) = バファリン × lim(1/(2^n)) (n→∞)
この式は、limの部分が0になってしまうため、バファリンの残り半分の正体は、結局のところ無に帰してしまう。
(バファリンが無限存在の場合は話が別だが、そんなバファリンがいったいどこにあるのか?)
つまり、バファリンは突き詰めると「すべて」やさしさでてきていることとなる。これはCM中の文言と明らかに矛盾しており、お天道様が許してもJAROが許さないのは明白である。
以上の議論が破綻したのは、「ァリン」を量的な存在として捉えたためである。したがって、「残り半分はバファリンでできている」との主張では、「やさしさ」や「ァリン」を質的な存在、つまり集合論の命題として捉える必要がある。
いいかえれば、バファリンという存在の必要条件・十分条件は何か、ということである。
もちろん、バファリンがしようとして謳っている医薬品としての効能がなければ、それはバファリンの名を騙る何か別のものである。したがって、医薬品としての成分はすべて、バファリン存在の必要条件である。
問題は、やさしさは必要条件なのか、十分条件なのか、という点である。
もし「やさしさ」なしのバファリンをバファリンとしての必要条件を満たしている、とした場合、いいかえれば「やさしさ」は必要条件ではないとした場合、やさしさの入っていないバファリンとはどういった存在なのだろうか。
これはつまり、「仕様としてのバファリン」ということになろう。この対極に位置するのが、やさしさの入った「商品としてのバファリン」である。
しかし、ここでの議論で対象としているバファリンは、あくまで「商品としてのバファリン」であり、「仕様としてのバファリン」はどうでもいい(というか、メーカーの研究所の中にしか存在しないだろう、そんなもの)。
なぜなら、この議論の前提は「バファリンにはやさしさが入っている」という点であるからである。
・・・ここまで書いて、「だからどーした」と言う気分になったので、今日はここまで。
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Comments
ぼくもやさしいんですけどw
Posted by: ァリン | December 15, 2005 at 17:31